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こちらのページでは、実際に当センターにお寄せいただいた「被害者遺族の方の手記」を掲載しています。
▶ 日時:2010年
▶ 著者:故岡﨑愛さんのおかあさま
私が、ふくしま被害者支援センターに初めて伺ったのは、昨年の7月のことでした。
私の長女は、5年前の2005年8月交通事故で死亡いたしました。中学3年生14歳でした。
私は、私と同じように子どもを交通事故で亡くした人との交流を全く持たないまま、過ごしておりました。
事故から一年が経過しても、思考は混乱したままで、生きることの虚しさは、ますます強くなるように感じ、どのように闘えばいいのかも分からないまま、民事裁判をし、それも既に終わっておりました。
昨年6月、ある方を通じて、交通事故で息子さんを亡くされた福島市の方の連絡先を教えていただくことができました。さっそく連絡をいたしました。
子どもを失ったとういう同じ立場で、共感しあえることがたくさんありました。
そして、その方から、被害者支援センターで自助グループの集まりがあるので、一緒に参加してみませんか?とお話をいただき、私も参加させていただくことにしました。
子どもを失った哀しみは、消えることがありません。ほとんどの哀しみは時間が解決してくれると言われ、私もそうだろうと思ってきましたが、子どもを亡くした哀しみは、時間が経てば軽減されるというものではないことを実感しました。時間が経つほどに、ますます哀しみは深く重く、心の奥底に沈んでいくような気さえしました。
未来に瞳を輝かせ、精一杯努力していた娘を失った嘆き、幸せだった家庭の平穏が一瞬にして壊されたことへの怒り、娘を救うことができなかった後悔。いくら考えても答えなど出せるはずもないのに、それでも考え続け、ただ涙が流れるばかりでした。
しかし、現実では、長女を失う以前と変わらぬように日常生活を送らなければなりません。
そんな時に、自助グループに参加したのでした。
子どもを失ったとういう同じ状況にある人と話し合うことは、生々しい事故の様子を思い出すことにもなりますが、それでも意義は大きいと思いました。他の方の話される哀しさや悔しさに共感し、一緒に涙を流し、そうすることによって、今はいない娘への思いを新たにして、帰路に着くことができました。
どうしようもない孤立感と閉塞感に押しつぶされそうな時、共感しあえる人がいる、他の人には理解してもらえないと思っていたことを話す場所があると思えることで、一人ではないという安心感を持ちました。
また、被害者支援センターに伺ってすぐに、私たちは娘を「生命のメッセージ展」に参加させることに決めました。福島市での『生命のメッセージ展』開催は、被害者支援センターの皆さん、そして多くの方のご協力によって、たいへん素晴しく意義深いものとなり、大成功を収めました。娘もとても喜んでいるように思いました。
被害者支援センターの皆さんは、
『話をしたくなったら、いつでも大丈夫だからね。』
と言って下さいます。そして、いつも私の心と体を気遣って下さいます。その言葉が、どんなにありがたく嬉しいことでしょう。皆さんの優しさに励ましていただきながら、今日も何とか頑張ろうと思って生きています。
被害者支援センターの皆さんは、いつでも私たちを暖かく迎えて下さいます。
これからも、私たちのように孤立して、誰にも相談できずに悩んでいる人たちの、大きな支えになって下さると思います。
私は、この出会いを大切にして、これからもお世話にならせていただくつもりでおります。
お手数をおかけいたしますが、今後とも、どうぞよろしくお願いたします。